沖縄観光のあゆみ
2020年1月21日から6月28日まで、当館展示室で所蔵資料展「沖縄観光のあゆみ」を開催しました。
沖縄への観光客は年々増え続け、年間の入域観光客数は2018年度に初めて1000万人を突破しました。日本国内だけでなく、東アジアを中心に世界中から人々が訪れる観光地・沖縄。その歴史はどんなふうに始まったのでしょうか。本展は,近代以降の沖縄観光に焦点をあて、当館所蔵資料をご紹介します。
■戦前の沖縄観光
1870年代の「琉球処分」により、沖縄は日本国の一部となり、 人や物の往来が盛んになりました。1884年(明治17)、大阪商船が大阪—那覇を10日で結ぶ木造船を月1回就航するようになり、1924年(大正13)には、3泊4日の直通航路を開設し、 3~4000トン級の大型船が月に5往復するようになりました。1937年(昭和12)から新造船の波上丸・浮島丸が2泊3日で神戸—那覇の運航を開始しました。就航記念の遊覧ツアーとして企画した「沖縄視察団」は、 その後も回を重ね、沖縄観光を促進しました。
しかし沖縄県庁は、 観光プロモーションに積極的ではなかったようです。当時の沖縄経済の中心はあくまでも、サトウキビを中心とする農業にありました。土産物のような観光商品の開発にしても民間業者が主導し、 観光客の需要に政策的な対応はあまり見られませんでした。
沖縄観光の動向や感想は、旅行者たちが著した紀行文にみることができます。波上宮、 識名園、 辻、 糸満町、 首里城、 円覚寺、 泡盛醸造場、 桃原農園、 普天間宮、中城城、 万座毛などが主な観光スポットで、 空手演武や古典芸能鑑賞、 闘牛見物も一般的だったようです。
P1 首里城正殿 |
P2 崇元寺石門 |
1 琉球新誌 巻上下 |
2 日本名勝地誌 第11編 琉球之部 |
3 海 第20号 |
4 沖縄へ 大阪商船 |
6 旧都名勝旧蹟案内 沖縄県首里市 |
■戦後の沖縄観光
戦後の沖縄は1972年(昭和47)まで米国施政権下にありました。日本人であっても、沖縄に渡航するには、日本政府と琉球列島米国民政府が発行する書類が要求され、出入域審査が課されました。
戦後の混乱がおさまるにつれて、沖縄戦で没した軍人らを追悼する遺族や、知己の軍人の慰霊団が日本から訪ねてくるようになりました。やがて遺族団の規模も大きくなり、那覇市内のホテルや各地の民宿に宿泊し、土産物を購入するなど、観光産業を後押ししました。また沖縄では、通貨が1958 年(昭和33)からドルに切り替わり、輸入税率も低かったことから、高価な外国商品を安く買うことができたため、ショッピング観光も盛んになりました。
琉球政府は1950年代後半から、観光産業を沖縄の経済自立のカギと位置づけて、取り組みを強化しました。観光業界の組織化と行政の提携、観光課を設置して日本国内に沖縄観光プロモーションを展開しました。さらに1965年(昭和40)、国際的観光機関である太平洋観光協会に琉球政府の加盟が実現し、沖縄は世界的な観光地として十分な魅力があるという意識も高まっていきました。
とはいえ、宿泊施設、飲食店や土産物、観光施設やアトラクションなどの貧弱さや、観光に携わる人々のマナーの改善が常に指摘され、また観光地でもトイレを始めとした施設が未整備の状態で、琉球政府の課題は山積していました。
■日本復帰後の沖縄観光
日本政府の「沖縄振興開発計画」も、この流れを大きく加速させました。第一次振計は「余暇生活の充実と観光の開発」を掲げ、観光を沖縄の主要産業と位置づけました。これに基づいて、「沖縄国際海洋博覧会」の開催、「ホテル,旅館,国民宿舎」等の宿泊施設の整備、沖縄自動車道の建設などのインフラ構築を進め、観光産業の基盤を整備していきました。
1975年(昭和50)、沖縄の日本復帰記念事業として取り組まれた沖縄国際海洋博覧会が、リゾート地・沖縄のイメージを形成したと言えるでしょう。海洋博のテーマは「海-その望ましい未来」でした。これまでの戦跡観光や免税ショッピング観光だけでなく、美しい海と空のもとで観光スポットを見て回る周遊型パターンが現れ、若者や新婚旅行のカップルも急増しました。
1980年代初頭から航空会社が沖縄キャンペーンを展開し、「リゾート」「マリン・レジャー」「青い空とビーチ」などのイメージを打ち出し、日本国内の他地域と異なる沖縄の魅力をアピールして誘客に成功しました。
P32 沖縄国際海洋博覧会用地調査団視察 調査団を歓迎する住民 本部町 |
24 『海洋博会場用地選定資料』より 会場選定の基準地域別比較表 海洋博準備室は、会場の候補地を本部半島、残波岬、糸満地区の3地区に絞り込んだ。自然、用地確保、旅客運送、将来への寄与などの条件を比較検討した結果、本部半島を有力地とした。本部半島の地域開発過疎化対策に役立ち、北部への交通体系拡充整備は沖縄の経済開発に大きく寄与すると考えられた。 |
25-1 『県出展関係』より 沖縄国際海洋博覧会沖縄県出展構想具体化計画 沖縄県は、県内財界及び県民から資金を募り「沖縄館」を出展した。赤瓦の屋根やひんぷんを模した噴水で沖縄らしさを演出している。展示は「海やかりゆし」をテーマに、信仰や漁労、美術工芸、終戦直後の生活など8つのセクションで沖縄の歴史と文化を紹介した。 |
25-2 『県出展関係』より 沖縄国際海洋博覧会沖縄県出展構想具体化計画 |
28 『海洋博跡利用に関する書類』より 海洋博記念公園整備についての考え方 沖縄県は、海洋博跡地の会場施設を中核として本部半島に国際的なリゾート・ゾーンを形成し、観光開発の拠点とするとともに、海洋開発研究など各種の研究教育の場として活用をはかることを基本に公園整備を推進することとした。 |
59 宮古 東京間の定期航空路線開設に関する意見書 宮古島ではいち早く本格的なジェット機対応空港の整備が進み、東京直行便就航による観光、流通体制強化による農水産業への振興が求められていた。宮古島と東京を結ぶ直行便は、南西航空が1989年に初就航した。 |
79 美ら島おきなわ観光宣言 沖縄戦終結50年にあたる1995年、沖縄県はさまざまな事業を展開した。平和祈念公園に建立された「平和の礎」は、今では多くの観光客が訪れる、文化観光の重要地点となった。この宣言も「豊かな自然と独特の歴史・文化の恵みをいかし、新しい世紀に向けて自立の精神をはぐくみ、寛容と共生の社会をめざす」ことに観光の意義を見出している。 |
80-1 めんそーれ沖縄県民運動推進大会 平成3年3月22日(金) 「めんそーれ沖縄県民運動推進協議会」は、沖縄県が1989年に設置。県民の観光・コンベンションの意識の高揚を図り、県民一丸で受入体制づくりを推進し、地域社会の活性化と教育文化の振興に寄与することを目的とした。1990年、協議会は沖縄の伝統染織物、文化や自然等をモチーフにしたデザインを用いてイメージアップを図るウェアの名称を募集して「かりゆしウェア」を採択した。 |
80-2 めんそーれ沖縄県民運動推進大会 平成3年3月22日(金) |
展示 番号 |
展示資料件名 | 資料年代 | 出処情報 | 閲覧用 資料コード等 |
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■戦前の沖縄観光 | ||||
P1 | 首里城正殿 | 1936年10月 | 河村只雄資料 | T00022430B, 5-47-05 |
P2 | 崇元寺石門 | 1936年10月27日 | 河村只雄資料 | T00022430B, 5-47-07 |
1 | 琉球新誌 巻上下 | 1873年刊 | 大槻文彦 著 | 0000065055 |
2 | 日本名勝地誌 第11編 琉球之部 | 1901年12月9日刊 | 田山録彌(花袋)著/博文館(東京) | T00008868B |
3 | 海 第20号 | 1929年8月刊 | 大阪商船(株) | T00005166B |
4 | 沖縄へ | 1936年5月 | 大阪商船(株) | T00016083B |
6 | 旧都名勝旧蹟案内 | 1939年8月15日刊 | 首里市庁 | T00015816B |
■戦後の沖縄観光 | ||||
P5 | 瓦礫と化した首里城の城壁 | 1945年5月 | 米海兵隊写真資料29 | 87-23-4 |
P9 | 沖縄軍政府のお土産品店 | 1947年11月22日 | 占領初期沖縄関係写真資料 陸軍18 | 04-42-4 |
P11 | 普天満宮で記念撮影する米兵 | 1954年7月20日 | 占領初期沖縄関係写真資料 陸軍43 | 08-11-1 |
P14 | 琉球鹿児島間を運行していたおとひめ丸 | 1966年7月20日 | 琉球政府関係写真資料 069 | 019364 |
P16 | 出入管理窓口 入国審査 | 1967年9月 | 琉球政府関係写真資料 091 | 025634 |
P18 | Caronia号から下船した世界一周観光団 | 1963年 | 琉球政府関係写真資料 020 | 005501 |
8 | 『陸軍保安部指令綴』より 土産品営業ニ関スル件 琉球列島米国軍政本部 | 1947年6月17日付 | 沖縄民政府知事官房文書課 | |
11 | 沖縄渡航のしおり | 1962年頃 | 東京都総務局外事部渡航移住課 | 0000041545 |
13 | 『警乗関係書類 旅具検査』より 沖縄観光旅行団に対する税関警乗職員の派遣 | 1967年3月14日決裁 | 琉球政府主税局那覇税関 | R00011193B |
15 | Your guide to OKINAWA 沖縄へどうぞ 渡航手続きと観光案内 | 1968年 | 琉球政府経済局観光課 | R00070385B |
16 | 『慰霊塔関係綴』より 兵庫県戦没者沖縄慰霊塔建立趣意書 兵庫県戦没者沖縄慰霊塔建立委員会 | 1963年12月7日 | 琉球政府厚生局援護課 | R00084010B |
17 | 『慰霊塔関係綴』より 船便利用参列者旅行日程/山形の塔 除幕式および慰霊祭挙行資料 | 1965年2月6日 | 山形県戦没者沖縄慰霊塔建設期成同盟会 | R00084010B |
P20 | 松岡政保行政主席訪問 ハワイ観光団 記念撮影 | 1966年9月28日 | 琉球政府関係写真資料 066 | 018679 |
P23 | 南部戦跡の花売り | 1961年2月5日 | 琉球政府関係写真資料 202 | 056415 |
P25 | 南部戦跡をめぐる日本政府派遣医師団 | 1961年2月5日 | 琉球政府関係写真資料 172 | 047992 |
P27 | 那覇 沖縄ホテル デパート大越ホテル売店 | 1961年1月 | 琉球政府関係写真資料 181 | 050500 |
P29 | 佐藤栄作総理大臣来沖 那覇 琉球東急ホテル | 1965年8月 | 琉球政府関係写真資料 197 | 054943 |
P30 | 南西航空一番機就航式典 那覇空港 | 1967年7月1日 | 琉球政府関係写真資料 090 | 025470 |
P36 | 那覇空港 飛行機を降りてターミナルビルへ向かう乗客 |
1967年7月20日 |
琉球政府関係写真資料 090 | 025392 |
18 | 『雑書 1961年』より 南部戦跡地における物売の取締について(依頼) | 1961年12月 | 琉球政府経済局観光課企画宣伝係 | R00070449B |
19 | 『1963年 観光宣伝に関する書類』より 東京における観光懇談要項 沖縄観光協会 | 1963年5月 | 琉球政府経済局観光課 | R00070385B |
20 | 『1963年 観光宣伝に関する書類』より <観光観念普及事業>沖縄の観光事業 あなたの心でより美しく 観光美化 | 1963年頃 | 琉球政府経済局観光課 | R00070385B |
21 | 『1963年 観光宣伝に関する書類』より 郷土を美しくする運動について |
1963年8月28日決裁 |
琉球政府経済局観光課 | R00070385B |
22 | 『1963年 観光宣伝に関する書類』より 市町村に観光事業をすすめる書 | 1963年12月1日発行 | 琉球政府経済局観光課 | R00070385B |
47 | 『雑書』より 陳情 中城公園園長 高良一 | 1963年1月頃 | 琉球政府経済局観光課 | R00070447B |
49 | 挨拶文 第一陣ブラジル沖縄観光団について ヤビク旅行社 | 1970年3月12日付 | 稲嶺一郎文書 | 0000031838 |
51 | 渡航書類 南西旅行社 | 1969年頃 | 宮城聰聰文書 | 0000094152 |
52 | 沖縄への国際航空路線運航の継続要請書 | 1976年5月 | 稲嶺一郎文書 | 0000031083 |
55 | 観光沖縄 沖縄観光の栞 先島版 | 1964年6月10日刊 | 沖縄観光協会 | T00003951B |
63 | 『法令及び例規に関する書類』より 観光課設置の理由 | 1958年5月7日決裁 | 琉球政府行政主席官房総務課 | RDAE005979 |
64 | 那覇の物産 | 那覇市商工観光課 | 0000024443 | |
65 | 『観光展に関する書類』より 全九州と琉球の物産展について(報告) |
1963年11月20日付 |
琉球政府東京物産斡旋所所長 | R00070421B |
69 |
『公立学校の修学旅行願書』より 修学旅行計画 美里中学校長 上原清真 |
1968年11月16日 | 琉球政府文教局管理部義務教育課 | R00164080B |
70 |
『沖縄観光開発事業団に関する書類』より ドッグレースについて(伺い) |
1968年9月27日決裁 | 琉球政府通称産業局商工部観光課 | R00070437B |
74 | 日本万国博覧会に関する書類 出展構想 九州ブロック分 2 | 1968年 |
琉球政府通称産業局商工部観光課 |
R00070418B |
■日本復帰後の沖縄観光 | ||||
P32 | 沖縄国際海洋博覧会用地調査団視察 調査団を歓迎する住民 本部町 | 1972年1月10日 | 琉球政府関係写真資料 145 | 040595 |
24 | 『海洋博会場用地選定資料』より 会場選定の基準地域別比較表 | 1972年1月23日 | 沖縄県沖縄国際海洋博覧会協力局総務課 | P00013030B |
25 | 「県出展関係』より 沖縄国際海洋博覧会沖縄県出展構想具体化計画 | 1973年12月1日 | 沖縄県総務部沖縄国際海洋博覧会協力局計画調整室 | P00013213B |
28 | 『海洋博跡利用に関する書類』より 海洋博記念公園整備についての考え方 | 1975年12月 | 沖縄県企画調整部企画調整室 | P00019211B |
59 | 宮古 東京間の定期航空路線開設に関する意見書 | 1985年3月28日付 | 沖縄県議会 | 0000042338 |
79 | 美ら島おきなわ観光宣言 | 1995年10月1日 | 沖縄県 | 0000098029 |
80 | めんそーれ沖縄県民運動推進大会 平成3年3月22日(金) | 1991年3月22日 | 沖縄県商工労働部観光指導課 | 0000112759 |