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沖縄振興開発計画の策定に関する文書

【シリーズ名】 沖縄振興開発計画の策定に関する文書

【文書の概要】
 2022年(令和4)1月7日、沖縄振興開発計画の策定に関する文書 205件を新規公開しました。

 本シリーズは、第1次から第3次にわたる沖縄振興開発計画および、沖縄振興計画の策定に関する文書群です。2016年(平成28)に公開した資料とあわせて425件の文書から成り、各計画の策定に関わった沖縄振興開発審議会・沖縄県振興開発審議会の議事録や人事に関する文書、効果や残る課題を分析した「沖縄振興開発計画総点検資料」などがあります。このほか、第1次沖縄振興開発計画を策定する際の参考資料と思われる戦前の「沖縄県振興計画調査会議事録」や、琉球政府時代の長期経済計画が含まれます。

 「沖縄振興開発計画」は、1972年(昭和47)の沖縄県の日本復帰に伴い制定された「沖縄振興開発特別措置法」に基づく、沖縄の振興開発の方向性と基本施策を示した総合計画です。沖縄は、苛烈な地上戦によって社会基盤が破壊され、戦後長期にわたって米国施政権下に置かれたことから、他府県との間には経済など各分野において著しい格差が生じていました。沖縄振興は、このような沖縄の持つ歴史的事情に加え、島嶼県であることや他府県との距離的な隔絶等の地理的事情、米軍基地の集中などの社会的事情を踏まえて、国の責務として実施されました。

 「沖縄振興開発計画」は、1972年(昭和47)から10年ごとに3次にわたって実施され、他府県との格差是正や自立的発展の基礎条件の整備をめざし、社会資本の整備や観光産業、情報通信産業の育成等が図られました。なお、2002年(平成14)からは、自立型経済の構築やフロンティア創造型の振興策をめざして「沖縄振興計画」が実施され、2012年(平成24)からは「沖縄21世紀ビジョン基本計画(沖縄振興計画)」が実施されました。

【作成期間】 1932年(昭和7) - 2009年(平成21)
【資料種別・数量】 文書 ・ 425件
【閲覧制限】

 公開 197件  / 一部公開 18件 / 要審査※ 191件

※公開識別が「要審査」の資料は、閲覧申請後、当該資料の利用制限審査を行うため、申請当日に閲覧できないことがあります。事前に閲覧資料のリストをお送りいただけると案内がスムーズです。

【複写制限】 一部あり
(公開で複写制限がある文書3件 / 一部公開で複写制限がある文書16件)
【公開年月日】 2016年9月30日 / 2022年1月7日
【資料ガイド】

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沖縄振興開発特別措置法等の要請関係資料集 関係省庁との折衝経過(2次振計時)[資料コード:0000206677]

本資料は、第2次沖縄振興開発特別措置法等にかかる沖縄県から国への要請事項に関する資料集です。制度全体に関する意見交換や具体的な事業に関する調整など、県と関係省庁との折衝過程が記録されています。

第2次沖縄振興開発計画「戦災文化財復原計画」沖縄開発庁提出資料及び折衝経過関係資料綴[資料コード:0000212946]

本資料は、第2次沖縄振興開発計画において進められた「戦災文化財復原計画」に関する資料です。琉球大学の首里から西原への移転後の、首里城跡等の整備に関する文書が含まれます。
1950年(昭和25)5月、米国民政府(USCAR)によって首里城跡地に設置された琉球大学は、1977年(昭和52)から現在のキャンパスへ移転を始めました。本資料によると、1982年(昭和57)の3月末には、学生寮をのぞいて首里からの移転が完了する見通しとなっていたようです。琉球大学の跡地は、首里城跡の保存整備や戦災文化財の復原整備、首里城公園の整備や沖縄県立大学の敷地として利用される計画となっており、これらは、その後の沖縄振興開発計画において実現することとなりました。