1973年5月3日 復帰記念沖縄特別国民体育大会(若夏国体)開催
1973年(昭和48)5月3日から4日間にわたって沖縄の日本復帰記念沖縄特別国民体育大会(若夏国体)が開催されました。
特別国体の誘致は琉球政府の長期経済計画の中に位置づけられていました。1971年(昭和46)6月4日、総理府で開かれた沖縄・北方対策庁、文部省、日本体育協会、琉球政府、沖縄体育協会の会議において特別国体の開催が正式決定、のちに琉球政府内に国体事務局を、1971年9月には特別国体実行委員会を設置、準備に取り掛かりました。
特別国体の誘致は琉球政府の長期経済計画の中に位置づけられていました。1971年(昭和46)6月4日、総理府で開かれた沖縄・北方対策庁、文部省、日本体育協会、琉球政府、沖縄体育協会の会議において特別国体の開催が正式決定、のちに琉球政府内に国体事務局を、1971年9月には特別国体実行委員会を設置、準備に取り掛かりました。
国体事務局は会場の改修や新設、関連道路の建設や環境整備などを進めました。「町をきれいに、緑と花いっぱい」「礼儀正しく、時間を守ろう」というスローガンを掲げ県民運動を展開しました。
愛称は「若夏国体」、スローガンは「強く・明るく・新しく」が選定されました。
『復帰記念沖縄特別国民体育大会報告書』によると「若夏」とは、「沖縄の初夏の明るく、たくましく、新生の気にみちた感触をよく表した言葉として古謡に多く用いられた詩語」であり、沖縄特別国体がこの若夏の季節に開催されることなどから愛称に選ばれました。
那覇市の奥武山公園をはじめ、県内11市町村の会場で競技が行われ、総勢3342人が参加しました。
愛称は「若夏国体」、スローガンは「強く・明るく・新しく」が選定されました。
『復帰記念沖縄特別国民体育大会報告書』によると「若夏」とは、「沖縄の初夏の明るく、たくましく、新生の気にみちた感触をよく表した言葉として古謡に多く用いられた詩語」であり、沖縄特別国体がこの若夏の季節に開催されることなどから愛称に選ばれました。
那覇市の奥武山公園をはじめ、県内11市町村の会場で競技が行われ、総勢3342人が参加しました。
*「若夏国体」に関する映像も所蔵しています*
『若夏の躍動 復帰記念沖縄特別国体の記録』(1973年)59分 企画:沖縄県 制作:日本映画新社【0000013595】
開会式、各競技の熱戦、閉会式。新生沖縄県を強調する内容。日本最南端で採火された炬火が、石垣、西表、本島をまわるのにあわせて、地域の風物、戦後の沖縄の苦難の歩みを紹介。各地で行われた競技や、屋良知事の大会宣言などを記録した映像。
『若夏の躍動 復帰記念沖縄特別国体の記録』(1973年)59分 企画:沖縄県 制作:日本映画新社【0000013595】
開会式、各競技の熱戦、閉会式。新生沖縄県を強調する内容。日本最南端で採火された炬火が、石垣、西表、本島をまわるのにあわせて、地域の風物、戦後の沖縄の苦難の歩みを紹介。各地で行われた競技や、屋良知事の大会宣言などを記録した映像。
【参考文献】
沖縄県特別国体事務局『復帰記念沖縄特別国民体育大会報告書』(1974年 沖縄県知事屋良朝苗)
屋良朝苗『激動八年 屋良朝苗回想録』(1985年 沖縄タイムス社)
琉球新報社編集局編『復帰後全記録 現代沖縄事典』(1992年 琉球新報社)