1969年8月4日 乾燥ハブ血清の完成
沖縄には、毒蛇であるハブが生息しています。ハブ咬症者数は、1960年代後半に年間500人を超え、死亡者もいました。その後、ハブ咬症者数は減少して、2000年(平成12)以降の死亡者はありませんが、現在でも年間70人前後が被害を受けています。ハブ咬症の有効な治療法は、ハブ血清の投与だけです。
ハブ 1950年11月7日
米陸軍通信隊写真1 【17-19-2】
1969年(昭和44)8月4日、琉球政府厚生局の琉球血清製剤研究所が、初めて沖縄産のハブ毒からつくられた乾燥ハブ血清を完成させました。日本初のハブ血清は、1904年(明治37)に国立伝染病研究所が完成させた液体ハブ血清ですが、有効期限が1年と短く、冷温保存も必要でした。1959年(昭和34)に東京大学伝染病研究所の沢井芳男らが、血清の乾燥化に成功しました。乾燥ハブ血清は、有効期限10年で常温保管できました。沖縄でも採用されましたが、これは奄美産のハブ毒でつくられたもので、沖縄では、沖縄産のハブ毒によるハブ血清が効果的といわれていました。
琉球衛生研究所 1966年9月
琉球政府関係写真資料079 【022392】
琉球政府厚生局のハブ対策事業は、日本政府の援助により1959年(昭和34)に始まりました。厚生局の琉球衛生研究所が研究を進め、1962年(昭和37)那覇市美栄橋にハブ飼育室を、1966年(昭和41)に浦添市経塚に血清製造施設を設置しました。1968年(昭和43)に、血清製造施設は衛生研究所の支所となり、琉球血清製剤研究所と名称を変えました。10項目の厳重な検定テストに合格した乾燥ハブ血清は製造開始となり、1969年(昭和44)12月から支給されました。
ハブ血清の支給 1970年6月19日
Medical Assistance Programs, 1970. Habu Laboratory.【U80800183B】
ハブ血清の支給について 1970年7月8日
Medical Assistance Programs, 1970. Habu Laboratory.【U80800183B】
ハブ血清は、米軍にも提供されていたようです。この文書によれば、1970年(昭和45)米国民政府厚生教育局が、キャンプ桑江陸軍病院で必要であるとして、琉球政府厚生局に支給を依頼しました。琉球政府厚生局は、管轄保健所であるコザ保健所で支給を受けるよう回答しています。これを受けた米国民政府厚生教育局は、米陸軍メディカルセンターに対して、コザ保健所から必要量の支給を受けるよう指示しています。この文書では、陸軍病院が毎年20ccのハブ血清を10から12個必要としていたことがわかります。
参考
山城善三・佐久田繁編『沖縄事始め・世相史事典』(月刊沖縄社、1983)【T00001668B】
国際協力事業団国際協力総合研修所『沖縄の地域保健医療における開発経験と途上国への適用』(国際協力事業団、2000)〈http://open_jicareport.jica.go.jp/pdf/11587102.pdf〉
沖縄県ホームページ〈http://www.pref.okinawa.lg.jp/site/hoken/eiken/eisei/habunohigai2.html〉