むかし沖縄 戦前の資料あれこれ
平成30年9月18日から平成31年5月12日まで、当館展示室で所蔵資料展「むかし沖縄 戦前の資料あれこれ」を開催しました。
第一尚氏が三山を統一して1429年に樹立した琉球王国は、1872年に日本政府によって琉球藩とされるまでの間、国として中国や日本、朝鮮半島、東南アジア諸国との交流を重ねてきました。
とくに中国とは、王国統一以前の三山時代、1372年から明朝への進貢が始まり、密接な関係が築かれました。いっぽうで日本との関係は、天下統一を果たした豊臣秀吉が海外進出に動き出す過程で、主に軍事的な理由から緊張が生じていきました。
1609年、薩摩島津氏による侵攻以降、琉球の社会は大きく変化しました。「古琉球」と呼ばれる平和の時代から、薩摩支配の近世琉球へ。さらに、明治維新によって近代国家として出発した日本に呑み込まれるようにして始まった沖縄の近代は、1945年の沖縄戦という帰結を迎えます。
本展では、薩摩の琉球への干渉から沖縄戦直前までのおよそ350年間の歴史をたどり、琉球・沖縄の統治のありようを語る所蔵資料をご紹介します。
■琉球と薩摩
■琉球と中国
■琉球と江戸
■異国から内国へ
■大日本帝国下の沖縄
■琉球と薩摩
1. 島津義久から琉球国王尚寧への書状 天正18年8月21日 [1590] この書状は、島津義久が尚寧(しょうねい)に対して、豊臣秀吉の関東平定を祝する綾舟(公式儀礼船)と管弦楽団を送るよう命じている。琉球使節派遣は遅延し、のち 1609 年に島津が琉球侵攻を正当化する要因となったとされる。『史徴墨宝 第二編 下巻』(1889年12月刊)所収の石版刷。 |
2. 中山王より島津求馬宛書簡 卯月六日 中山王 尚穆(しょうぼく)が、宜野湾王子の1790年の出府に際して、薩摩藩家老から品物を賜ったことに礼を述べた書状の写し。御印籠二、印籠掛一、大御盃七組、硯蓋一箱、菓子台一組、団羽三握、千代紙二百枚、煙草入三十、嶋織八丈五端その他の品物が記載されている。 |
■琉球と中国
3. 琉球国王尚穆為頒封事竣懇存旧礼事奏本 中国と冊封朝貢の関係を結んだ琉球王国は、国王が変わる度、皇帝からの冊封を要請した。この文書は、冊封された尚穆(しょうぼく)が皇帝に対し、「自分の面目を保つために、中国からの使者が宴金(慰労金)を一部収受するよう許可してほしい」と要望している内容である。 |
4-1. 雪堂燕遊艸 附世法録琉球考 程寵文 撰 程寵文(ていちょうぶん)は、久米村生まれの儒学者で名護親方として知られる程順則(ていじゅんそく)の別名。この詩集は、程が1696年に琉球使節の都通事として中国に渡り、福建から北京まで往復する間に読んだ漢詩を集めた漢詩集。 |
4-2. 雪堂燕遊艸 附世法録琉球考 程寵文 撰 |
4-3. 雪堂燕遊艸 附世法録琉球考 程寵文 撰 |
5. 琉球人行列彩色絵図 16回目の使節となった、尚育王(しょういくおう)就任の恩謝使を描いたもの。尚育は中国皇帝による冊封の礼を終えていなかったが、江戸へは国王として使者を送った。この時の琉球使節は全98人、同行する薩摩藩主とその従者を合わせると1,000人を超える大行列だった。沿道には、エキゾチックな琉球使節の行列を見物する人々が詰めかけ、琉球ブームが起こった。 |
■琉球と江戸
6. 中山王(尚敬)から土屋相模守宛書 琉球国王から幕府老中の土屋相模守へ宛てた書状。土屋相模守の君主の死去に哀悼を示す内容で、江戸へ向かう使節が持参したものの写しと思われる。国王尚敬(しょうけい)の花押がある。 |
7-1. 琉球人屋良里之子碁譜 琉球使節の道中、文学の他にもさまざまな交流があった。本資料は江戸で行われた囲碁対局全16盤の記録。 |
7-2. 琉球人屋良里之子碁譜 7盤に屋良里之子(やらさとぅぬし)と本因坊道知(ほんいんぼうどうち)、8盤に屋良と相原可硯(あいはらかせき)、1番に田頭親雲上(たがみぺーちん)と井上因碩(いのうえいんせき)の碁譜がある。屋良は1710年、田頭は1748年の琉球使節。 |
8-1. 慶賀使浦王詠歌并香川景樹教文 浦添王子朝熹 浦王とは浦添王子朝熹(ちょうき・唐名は尚元魯)のこと。朝熹は沖縄三十六歌仙の一人で、書にも秀でた文化人。本資料は、朝熹が1842年の慶賀正使として参府した際に詠んだ和歌を集めて、京都桂園派の創始者である香川景樹(かがわかげき)が評を寄せたもの。文人どうしの交流を示す。 |
8-2. 慶賀使浦王詠歌并香川景樹教文 浦添王子朝熹 |
9. 中山伝信録 徐葆光 蘭園蔵板 中山伝信録は、尚敬王の冊封副使として仕えた清国の官僚・徐葆光(じょほこう)が琉球出張の復命書として著した。琉球の文物の観察や資料の研究、人士との交流から得た情報をもとにまとめあげ、「信を伝える」と自負して1721年に刊行された。本資料は、1766年に京都で訓点を付して復刻されたもので、江戸期日本における琉球理解の基本書となった。 |
10. 官刻 六諭衍義 全 六諭衍義(りくゆえんぎ)は、中国で用いられた庶民に生活理念を説く6項目の教訓解説書。琉球の程順則(ていじゅんそく)が福州留学中に譲り受けた書籍を重刻して広めた。島津家を通じてこれを知った将軍吉宗は、幕府として和訳・出版し、庶民教育のテキストとして用いることとした。 |
11. 夢樓詩集 王文治 王文治(おうぶんじ)の漢詩集。全24巻のうち、巻2の「海天遊草」は、1756年に尚穆王(しょうぼくおう)の冊封正使・全魁(ぜんかい)の従客として来琉した時の作品を集めたもの。 |
12-1. 官板 琉球国志略 周煌 撰 1756年に尚穆王(しょうぼく)の冊封副使として来琉した周煌(しゅうこう)が、1757年にまとめた報告書。周煌は優秀な官吏かつ文人で、詩書に優れ、現存する作品も多い。 |
12-2. 官板 琉球国志略 周煌 撰 |
12-3. 官板 琉球国志略 周煌 撰 |
12-4. 官板 琉球国志略 周煌 撰 |
12-5. 官板 琉球国志略 周煌 撰 |
12-6. 官板 琉球国志略 周煌 撰 |
12-7. 官板 琉球国志略 周煌 撰 |
12-8. 官板 琉球国志略 周煌 撰 |
13-1. 琉球八景(泉崎夜月 龍洞松濤) 葛飾北斎 『琉球国志略』には多くの琉球の挿画も収録された。そのうち特に名勝を選んで「中山八景」とした挿画8枚をもとに、多色刷りの版を起こしたのが、葛飾北斎(かつしかほくさい)の「琉球八景」(1832年刊)である。これも琉球ブームの産物と言える。 |
13-2. 琉球八景(泉崎夜月 龍洞松濤) 葛飾北斎 |
14. 中山世譜 蔡温 編 『中山世譜』は、首里王府が編さんした琉球の正史で、2種類ある。1650年刊の「中山世鑑」をもとに蔡鐸(さいたく)が1697年から1701年にかけて漢訳補訂した「蔡鐸本」、蔡鐸の息子・蔡温(さいおん)が1724年から25年にかけて中国側の史料を参照してさらに改訂した「蔡温本」である。蔡温本はのち1876年まで書き継がれた。 |
15-1. 衝口發 藤原貞幹 藤原貞幹(ふじわらさだもと)は江戸中期の考証学者で日本書紀の研究などで知られる。この著書で、琉球の恵平屋(伊平屋)島にある天孫嶽を引いて、神武天皇の生誕の地とした。この説は、本居宣長(もとおりのりなが)が1821年の著書『鉗狂人』で批判した。 |
15-2. 衝口發 藤原貞幹 |
16. Account of a Voyage of Discovery to the West Coast of Corea, and the Great Loo-Choo Island; with an Appendix, containing Charts, and Various Hydrographical and Scientific Notices and a Vocabulary of the Loo-Choo Language イギリスの海軍士官バジル・ホールが1818年に著した『朝鮮西岸及び大琉球島探検航海記』。ホールは1816年9月にライラ号で沖縄に来航し一か月ほど滞在した。その時の見聞や経験をもとに日記体で記述されている。タイトルにあるGreat Loo-Choo Islandは大琉球島の意。1840年の第3版は、セントヘレナ島で懇談したナポレオンが武器のない島・琉球の話を聞いて一驚する逸話も加えられた。 |
18. 首里城におけるレセプション ウィリアム・ハイネ(原画) アメリカ海軍提督のマシュー・ガルブレイス・ペリーは「黒船」を率いて江戸幕府に開国を要求したが、その途次で琉球に5度寄港した。 |
19. 琉球首里を訪れるペリー ウィリアム・ハイネ(原画) |
20. 晩餐(琉球) ウィリアム・ハイネ(原画) |
■異国から内国へ
21. 処蕃趣旨書 完 蕃地事務局 |
22. 絵はがき 琉球藩民の墓 台湾 1871年末、宮古島の貢納船が那覇からの帰途、台湾に漂着し、乗組員54人が現地の者に殺害された。1874年、日本政府は報復の「台湾征伐」と称して初めての組織的海外派兵をした。『処蕃趣旨書』は、蕃地事務所がその経緯をまとめたもの。蕃とは、未開の異民族や外国を指す。台湾出兵時、西郷従道(さいごうじゅうどう)らは「大日本琉球藩民五十四名墓」の墓碑を建てた。 |
24. 琉球王国尚泰為遣陪臣毛精長等進貢事表文 |
25-1. 府県管轄表 水原幸次郎 薩摩藩の附庸という扱いになっていた琉球王国は、明治維新の後、あらためて鹿児島県の管轄となった。1872年に、琉球「藩」として明治天皇から封じられた。 |
25-2. 府県管轄表 水原幸次郎 |
26. 琉球藩処分官一行 |
27-1. 沖縄県令鍋島直彬 私文書 内務卿伊藤博文より沖縄県令鍋島直彬宛 本資料は、後の総理大臣である伊藤博文(いとうひろぶみ)内務卿が、1979年10月8日付で初代沖縄県令の鍋島直彬(なべしまなおよし)に送った文書で、内務省用箋が使用されている。沖縄県当局は新県政に抵抗する琉球の旧士族ら100人余を逮捕・拷問し、9月に新県政への恭順を表明した旧三司官2人を県庁顧問官に採用した。伊藤はこの鍋島の措置に不快を示し、彼らを信用しないようにと警告し、厳重に問い詰めるよう指示した。 |
27-2. 沖縄県令鍋島直彬 私文書 内務卿伊藤博文より沖縄県令鍋島直彬宛 |
28. 福建巡撫張兆棟為琉球国貢使毛精長病故事題本 |
29.沖縄県首里城図 沖縄県立師範学校が左側に描かれている。師範学校は、沖縄県となった翌年1880年2月、教員養成目的で県庁学務課内に設置された「会話伝播所」を前身とする。会話伝播所は、同年6月に創設された師範学校に吸収される形で廃止となった。師範学校がこの絵のように当蔵龍潭のほとりに新築移転したのは1886年なので、その後の作と思われる。 |
30-1. 国会議員百首 伊東洋二郎 編 最後の琉球国王・尚泰(しょうたい)は、明治天皇に上京を命じられ、1879年5月以降は東京に居住した。1884年5月、天皇家の藩屏(はんぺい)という侯爵の位を授けられ、自動的に貴族院議員となった。本資料は国会議員の紹介記事とゆかりの和歌を収録したもの。 |
30-2. 国会議員百首 伊東洋二郎 編 |
■大日本帝国下の沖縄
番号 | 展示資料件名 | 資料年代 | 西暦 |
閲覧用資料 |
---|---|---|---|---|
■琉球と薩摩 | ||||
1 | 島津義久から琉球国王尚寧への書状 天正18年8月21日 [1590] | 明治22年刊 | 1590 | 0000007658 |
2 | 中山王より島津求馬宛書簡 卯月六日 | 寛政3年4月6日 | 1791 | 0000065051/MF |
■琉球と中国 | ||||
3 | 琉球国王尚穆為頒封事竣懇存旧礼事奏本 | 乾隆21年10月12日 | 1756 | 0000003547 |
4 | 雪堂燕遊艸 附世法録琉球考 程寵文 撰 | 康熙53年刊 | 1714 | T00012458B/MF |
5 | 琉球人行列彩色絵図 | 天保3年 | 1832 | T00015284B |
■琉球と江戸 | ||||
6 | 中山王(尚敬)から土屋相模守宛書 | 正徳4年4月27日 | 1714 | 0000065051/MF |
7 | 琉球人屋良里之子碁譜 | 寛永7年 | 1710 | T00012501B/MF |
8 | 慶賀使浦王詠歌并香川景樹教文 浦添王子朝熹 | 天保13年 | 1842 | T00012460B /MF |
9 | 中山伝信録 徐葆光 蘭園蔵板 | 明和3年刊 | 1766 | T00012504B/MF |
10 | 官刻 六諭衍義 全 | 享保6年刊 | 1721 | T00012500B/MF |
11 | 夢樓詩集 王文治 | 乾隆60年刊 | 1795 | T00012458B/MF |
12 | 官板 琉球国志略 周煌 撰 | 天保2年刊 | 1831 | T00012507B/MF |
13 | 琉球八景(泉崎夜月 龍洞松濤) 葛飾北斎 | 天保3年 | 1832 | T00016949B |
14 | 中山世譜 蔡温 編 | 乾隆36年刊 | 1771 | T00012517B/MF |
15 | 衝口發 藤原貞幹 | 天明元年刊 | 1781 | T00012516B/MF |
16 | Account of a Voyage of Discovery to the West Coast of Corea, and the Great Loo-Choo Island; with an Appendix, Containing Charts, and Various Hydrographical and Scientific Notices and a Vocabulary of the Loo-Choo Language Basil Hall and H. J. Clifford, Esq. (『朝鮮西岸及び大琉球島探検航海記』) | - | 1818 | 0000025988 |
18 | 首里城におけるレセプション ウィリアム・ハイネ(原画) | - | 1853頃 | T00012502B /MF |
19 | 琉球首里を訪れるペリー ウィリアム・ハイネ(原画) | - | 1853頃 | T00012502B /MF |
20 | 晩餐(琉球) ウィリアム・ハイネ(原画) | - | 1853頃 | T00012502B /MF |
■異国から内国へ | ||||
21 | 処蕃趣旨書 完 蕃地事務局 | 明治8年1月 | 1875 | 0000065044 /MF |
22 | 絵はがき 琉球藩民の墓 台湾 | - | - | T00016978B |
24 | 琉球国王尚泰為遣陪臣毛精長等進貢事表文 | 同治13年8月初4日 | 1874 | 0000003620 |
25 | 府県管轄表 水原幸次郎 | 明治9年12月 | 1877 | 0000065044/MF |
26 | 琉球藩処分官一行 | 明治12年 | 1879 | T00021952B |
27 | 沖縄県令鍋島直彬 私文書 内務卿伊藤博文より沖縄県令鍋島直彬宛 | 明治12年10月8日 | 1879 | 寄託資料(松岡政保文書) |
28 | 福建巡撫張兆棟為琉球国貢使毛精長病故事題本 | 光緒10年12月21日 | 1884 | T00012275B/MF |
29 | 沖縄県首里城図 | - | - | T00016943B |
30 | 国会議員百首 伊東洋二郎 編 | 明治24年12月刊 | 1891 | T00015806B |
■大日本帝国下の沖縄 | ||||
39 | 沖縄對話 上下 沖縄県学務課編 | 明治13年12月刊 | 1880 | T00016128B |
40 | 沖縄県日誌 06 | 明治15年2月 | 1882 | T00001134B |
41 | 沖縄県日誌 07 | 明治15年3月 | 1882 | T00001135B |
42 | 沖縄県宮古島々費軽減及島政改革請願書 | 明治26年12月 | 1893 | T00015799B |
43 | 辞令書 任沖縄県中頭郡長 内閣総理大臣より西常央 | 明治29年4月1日 | 1896 | 0000087091 |
44 | 丸岡知事公演説 | 明治21年 | 1888 | 0000087151 |
45 | 記念帖 臨時沖縄県土地整理事務局 | - | - | T00022298B |
46 | 明治三十七、八年日露戦争日記 當間恵栄 | 明治37~38年 | 1904~05 | T00020716B |
47 | 第一回沖縄県議会後の記念写真 | 明治42年7月 | 1909 | 0000065852 |
48 | 島司郡区長会議へ提出事項 | 大正2年 | 1913 | T00015716B |
49 | 沖縄演習支隊衛生概況報告 伊藤祐次 | 大正3年1月 | 1914 | T00015714B |
51 | 嗚呼沖縄県 第51回議会貴族院本会議に於ける質問演説萃 大城兼義 | 大正15年3月22日 | 1926 | T00015952B |
53 | 沖縄県振興計画説明書 沖縄県 | 昭和6年6月 | 1931 | G00019334B |
54 | 井野次郎知事事務引継書 沖縄県 2-1 | 昭和10年7月 | 1935 | P00013259B |
55 | 久松五勇士美談 沖縄県宮古郡教育部会 | 昭和9年7月10日 | 1934 | T00009584B |
56 | 名護土木出張所 辺野喜山林事務所 記念写真 | 昭和12年 | 1937 | 0000028673 |
57 | 石垣島開発と沖縄振興 沖縄県総務部 | 昭和13年12月16日 | 1938 | G00019662B |
58 | 世態調査資料 第18号 部外秘 司法省調査部 | 昭和14年 | 1939 | G00020111B |
59 | 興行芝居筋書 沖縄芝居興行許可添付資料 | 昭和5年 | 1930 | 0000010108 |
60 | 第二十五代早川元知事を迎える 金武村 | 昭和16年 | 1941 | 0000028538 |
61 | 宮城文 辞令書 標準語勵行委員嘱託 | 昭和14年7月11日 | 1939 | 0000048806 |
62 | 八重山神社及護国神社関係資料 | 昭和15年 | 1940 | 0000011673 |
63 | 例規綴 庶務 八重山島庁 市町村会議における知事訓示要旨 | 昭和16年12月 | 1941 | R00159088B /MF |
64 | 沖縄県人南方発展史要綱 安里延 | 昭和17年10月刊 | 1942 | T00007642B |
65 | 感謝状 銘苅正太郎 | 昭和18年7月27日 | 1943 | 0000015190 |
66 | 琉球の支那に通ぜし端緒/幣原坦 『史学雑誌』第06編 第09号 | 明治28年9月刊 | 1895 | T00011030B |
67 | 沖縄は古来我か版図たり/山下重民 『風俗画報 臨時増刊 沖縄風俗図会 第117号』 | 明治29年6月刊 | 1896 | T00016308B |
68 | 混効験集 一名琉球の内裏言葉/田島利三郎 『国学院雑誌』第04巻 第03号 | 明治31年1月刊 | 1898 | T00006134B |
69 | 『風俗画報』臨時増刊 第5回内国勧業博覧会図会 上編 | 明治36年6月刊行 | 1903 | T00004383B |
71 | 琉球人種論 全 伊波普猷 | 明治44年3月25日 | 1911 | T00013788B |
72 | 河村只雄資料より 宮古のツカサたち 昭和11年~15年民族調査写真 07-06 | 昭和13年 | 1938 | T00022426B |
74 | 椿説弓張月 為朝実伝 曲亭馬琴 | 明治20年8月 | 1887 | T00004492B |
75 | 為朝 琉球軍記 五版 大川屋書店 | 明治43年1月 | 1910 | T00012465B/MF |