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常設展 旅人たちが撮った沖縄

 2014年(平成26)2月3日から2015年(平成27)8月16日まで常設展ミニ企画「旅人たちが撮った沖縄」を開催しました。

 当館は文書資料に加えて、多くの写真資料も所蔵しています。米国国立公文書館から収集した沖縄戦関係写真資料や、琉球政府ならびに琉球列島米国民政府の機関が撮影した広報写真は、館ホームページの画像検索データベース「写真が語る沖縄」で閲覧できることから、さまざまな形でご利用いただいています。

 これらのように公文書の一部として収集したものだけでなく、縁あって沖縄を訪れた人々の私文書のなかにも、多彩な沖縄の「像(イメージ)」を確認することができます。 たとえば、1879年(明治12)のいわゆる「廃藩置県」後、たくさんの人々が日本本土から沖縄にやってきました。沖縄県官吏として来沖した人々、沖縄の独特の文化に表現のモチーフを求めてやってきた芸術家たち、沖縄の民俗や資源等の学術調査に携わった人々―。そして沖縄戦の後、占領者として沖縄に滞在した米軍関係者たちの中にも、軍務と離れた個人的な関心で沖縄での日常を撮った人々がいました。

 彼らは、カメラ越しにどんなまなざしを沖縄に向けたのでしょうか。本展では「旅人たちが撮った沖縄」では、江戸時代から昭和にかけてのこの視線のゆくえをたどります。

1 幻想の琉球/ペリー達がみた琉球

幻想の琉球

 1609年(慶長14)、薩摩島津氏が琉球王国を侵攻しました。島津家久は、破れた琉球国王尚寧を徳川家康らに謁見させ、以後、琉球王国は幕藩体制に組み込まれていきました。

 1634年(寛永11)以降、江戸の将軍や琉球の国王が代替りをする際、琉球王国は慶賀使や謝恩使を江戸に送りました。このいわゆる「江戸上り」は、1850年(嘉永3)の最後の使者まで18回行われました。

 100名近い琉球人行列は瀬戸内海を行き、薩摩藩の約1,000名に付き添われて東海道を進み、江戸に到着します。沿道で華やかな道行きを見た人々は、まだ見ぬ琉球への想いをふくらませました。琉球をテーマにした著述や作品を発表する学者・文人も出てきました。

展示No タイトル 年代 資料コード 出処情報 画像
1 琉球人行列絵巻 近世 T00012457B 岸秋正資料
2 琉球八景(泉崎夜月 龍洞松濤) 1832年頃 T00016949B 岸秋正資料
3 風俗畫報臨時増刊 沖縄風俗圖繪(沖縄縣人の圖 沖縄縣那覇市街市場の圖)/東陽堂 1896年 T00016948B 岸秋正資料
4 アルセスト号航海記(原書) 1818年 T00016948B 岸秋正資料
5 天孫廟にて鶴亀兄弟、阿君を討つの図/豊原國周 明治初期 T00015313B 岸秋正資料
6 為朝琉球國二大鷲討図/歌川国福 1862年 T00012462B 岸秋正資料
7 美談武者八景 琉球の帰帆/月岡芳年 1867年 T00012462B 岸秋正資料
8 燿武八景 琉球帰帆/歌川国芳 1852年 T00012462B 岸秋正資料
9 弓張月春廼宵栄 初編上~24編大尾/楽亭西馬弓張月春廼宵栄 1851~67年 T00012462B 岸秋正資料

ペリーたちが見た琉球

 1853年(嘉永6)、ペリー提督率いるアメリカ海軍艦隊のうち3隻が那覇港に入港しました。この日本遠征隊は、日本近海で操業するアメリカの捕鯨業者の保護や、貿易船への燃料・食料供給を求めて、組織したものです。一行は、首里城の強行訪問、奥地踏査などを遂行し、1854年(嘉永7)にはアメリカ全権大使として琉球王府と「琉米修好条約」を結びました。

 遠征隊に随行したハイネやブラウンは、琉球や日本の風景と人々をスケッチまたは撮影し、それらは後に石版画の下絵となってペリー提督日本遠征記の挿絵として広く流通します。琉球の様子はこうして西洋世界に伝えられるようになりました。

展示No タイトル 年代 資料コード 出処情報 画像
10 Napha, from Bamboo Village 1856年刊 T00015298B 岸秋正資料
11 Encampment of the Exploring Party in Lew-Chew 1856年刊 T00015303B 岸秋正資料
12 Lew-Chew 1856年刊 T00015302B 岸秋正資料
13 Bridge&Causeway at Ma-Chi Na-Too, Lew-Chew 1856年刊 T00015309B 岸秋正資料
14 Village near Napha, Lew-Chew 1856年刊 T00015299B 岸秋正資料
15 Temple at Tumai, Lew-Chew 1856年刊 T00015310B 岸秋正資料

 1879年(明治12)、明治政府の命を受け、軍隊と警官を率いて三度目の来琉を果たした松田道之は、沖縄県の設置を通達しました。このいわゆる「琉球処分」以後、沖縄県庁では、中央政府から任命された県令(後に県知事)をはじめ、沖縄外の出身者が官吏の多くを占めました。

 着任した県官吏らが在任中に撮影した、あるいは集めた写真には、後の沖縄戦で失われる以前の沖縄の様子が記録されています。

展示No タイトル 年代 資料コード 出処情報 画像
16 前中頭郡長朝武士干城より五味武へ事務引継終了後の記念写真 1913年 0000065852 五味武資料
17 天長節記念写真 1923年 0000065852 岸秋正資料
18 卒寿者表彰記念写真 1911年 0000065852 岸秋正資料
19 第1回沖縄県会後の記念写真 1909年 0000065852 岸秋正資料
20 知事官舎前 梨本宮様御迎えして 1933年頃 0000016847 井野次郎文書
21 井野次郎知事与那国島巡視 1933年頃 0000016863 井野次郎文書
22 波之上宮 1935年 0000028673 平野薫関連写真
23 昭和会館 1937年 0000028673 平野薫関連写真
24 今帰仁城址 1937年 0000028673 平野薫関連写真
25 三杉楼 1939年 0000028673 平野薫関連写真
26 本部村女子警防団 物見やぐら前にて 1940年 0000028541 隈崎俊武関連写真資料
27 那覇市立甲辰尋常小学校 1931年 0000028535 隈崎俊武関連写真資料
28 沖縄県立第三高女二年 なごらん学徒隊 1943年 0000028536 隈崎俊武関連写真資料
29 那覇市楚辺集会所での保育実習所 1943年 0000028545 隈崎俊武関連写真資料

 近代日本の版図となった沖縄に、民俗学をはじめとする学術研究や、天然資源等の調査のために日本本土からやってくる人々も増えていきました。

 社会学者の河村只雄は、1936年(昭和11)から1939年(昭和14)の間、5度にわたって沖縄と台湾の調査を実施しました。この頃の県内の大半の島を踏破して得た調査記録は貴重なもので、ことに約700枚の写真には島に生きる人々の姿が残されています。

 観光地としての沖縄も定着しつつありました。沖縄の名所旧跡や風物を素材にした絵はがきも多く製作されています。日本の一部であるはずなのに、どこかエキゾチックな異境として、旅人たちから届けられる沖縄の姿。これらの往来を通して、日本における沖縄イメージが形成されていったとも言えるでしょう。

展示No タイトル 年代 資料コード 出処情報 画像
30 旅の家土産 琉球之巻/光村写真館 1901年 T00008752B 岸秋正資料
31 明治・大正期の沖縄の絵葉書/坂元商店 明治~大正 T00022294B  
32 月刊民藝 11月号 第1巻第8号 1939年 T00013113B  
33 紀元二千六百年奉祝記念 琉球工藝文化展覧會解説 1940年 T00006803B 岸秋正資料
34 皇太子殿下御渡欧記念畫報/東京社 1921年 T00015035B 岸秋正資料
35 皇太子殿下御渡欧記念写眞帖 第1巻/大阪毎日新聞社 1921年 T00014995B 岸秋正資料
36 那覇港風景 大正初期 0000065852 五味武資料
37 金武名所繪葉書/金城寫眞館(金武) 1930年代 T00016123B 岸秋正資料
44 昭和11年~15年民族調査写真 31-03 波照間の朝 1938年 T00022428B 河村只雄資料
45 昭和11年~15年民族調査写真 31-08 波照間 1938年 T00022428B 河村只雄資料
46 昭和11年~15年民族調査写真 07-06 宮古 1938年 T00022426B 河村只雄資料
47 昭和11年~15年民族調査写真 24-03 多良間 1938年 T00022427B 河村只雄資料
48 昭和11年~15年民族調査写真 17-03 来間か 1938年 T00022426B 河村只雄資料
49 昭和11年~15年民族調査写真 21-10 与那国 1938年 T00022427B 河村只雄資料
50 昭和11年~15年民族調査写真 22-09 与那国 1938年 T00022427B 河村只雄資料
51 昭和11年~15年民族調査写真 27-07 多良間 1938年 T00022428B 河村只雄資料
52 天蛇能秘話 昭和十年二月/與那國尋常高等小学校 1935年 0000117121 河村只雄資料
53 DUNAN 與那國 ドゥンタ ディラバ 祭り その他 1938年 0000117124 河村只雄資料

 1945年(昭和20)の沖縄戦で上陸した米軍は、軍政を布いて占領行政を開始します。軍政府は1950年(昭和25)に琉球列島米国民政府(USCAR)と改称しますが、その実権はアメリカ陸軍人が掌握し、1972年(昭和47)の施政権返還まで沖縄を排他的に統治しました。沖縄住民の自治機関として設置した琉球政府は、USCARの絶対的な支配下におかれました。

 米軍人やアメリカ本国からUSCARへ派遣された職員は、公私にわたってたくさんの写真を撮り、沖縄滞在のスーベニール(思い出の品)として持ち帰りました。それらのアルバムを開くと、米軍の公式写真にはなかなか残されることのない、素のアメリカ軍人の生活を見ることができます。

 1945年(昭和20)の占領直後から1950年代前半、沖縄の住民がカメラを手にすることの難しかった時期に、カメラを趣味とする米軍人や、調査研究のために島々を回った学者たちが、市井の人々の表情を撮ることもありました。こうして残された写真には時として、困難な時代を生きる人々への共感が漂います。

展示No タイトル 年代 資料コード 出処情報 画像
54 3 Women Outside a Tent (private, wartime) 1945年頃 0000003353 トーマス・H・マーフィン文書
55 Ginoza (private, wartime) 1945年頃 0000003358 トーマス・H・マーフィン文書
56 Wrecked Ships (private, wartime) 1945年頃 0000003359 トーマス・H・マーフィン文書
57 Women and Children – Soke (private, wartime) 1945年頃 0000003373 トーマス・H・マーフィン文書
58 Full Moon Festival – Fukuyama (private, wartime) 1945年頃 0000003380 トーマス・H・マーフィン文書
59 Orphanage – Ginoza (private, wartime) 1945年頃 0000003388 トーマス・H・マーフィン文書
60 Ishikawa School (private, wartime) 1945年頃 0000003389 トーマス・H・マーフィン文書
61 Life & People – Okinawa Then 01 三味線を弾く女性 1949-52年頃 U00001466K トール・ヤマナカ コレクション
62 Life & People – Okinawa Then 07 三味線作り 1949-52年頃 U00001472K トール・ヤマナカ コレクション
63 Life & People – Okinawa Then 10 白銀神社(糸満) 1949-52年頃 U00001475K トール・ヤマナカ コレクション
64 Life & People – Okinawa Then 13 あごひげの老人 1949-52年頃 U00001478K トール・ヤマナカ コレクション
65 Life & People – Okinawa Then 18 馬と女性 1949-52年頃 U00001483K トール・ヤマナカ コレクション
66 Politicians 02 瀬長亀次郎他 1950年頃 U00001486K トール・ヤマナカ コレクション
67 Self Government 13 舞台の上の6人 1950年 U00001500K トール・ヤマナカ コレクション
68 First Post War Election 01 投票所への列 1949年 U00001504K トール・ヤマナカ コレクション
69 First Post War Election 03 知事候補者立て看板 1950年 U00001506K トール・ヤマナカ コレクション
70 First Post War Election 06 市長選候補者演説会 1949年 U00001509K トール・ヤマナカ コレクション
71 First Post War Election 08 School Room Used as Polling Booth 1949年 U00001511K トール・ヤマナカ コレクション
72 沖縄の風物写真1-2 国際通り遠 1952年 0000086412 ウィリアム・ジェンキンス資料
73 沖縄の風物写真1-2 大宝館 1952年頃 0000086412 ウィリアム・ジェンキンス資料
74 沖縄の風物写真1-1 ペルリ祭 1953年 0000086412 ウィリアム・ジェンキンス資料
75 沖縄の風物写真1-1 水場 1947~51年頃 0000086412 ウィリアム・ジェンキンス資料
76 沖縄の風物写真1-1 新天地劇場跡 1947~51年頃 0000086412 ウィリアム・ジェンキンス資料
77 沖縄の風物写真2-2 那覇市役所 1949~54年頃 0000086414 ウィリアム・ジェンキンス資料
78 沖縄の風物写真2-2 ニシムイ 1949~54年頃 0000086414 ウィリアム・ジェンキンス資料
79 Okinawa Isle of Smiles: An Informal Photographic Study by William E. Jenkins 1960~63年 GHK1F05001  
80 The Cultural Assets Survey, and the Ryukyu Reference File of 1960-63(人頭税石) 1960~63年 GHK1F05001 ジョージ・H・カー文書
81 The Cultural Assets Survey, and the Ryukyu Reference File of 1960-63(馬) 1960~63年 GHK1F05001 ジョージ・H・カー文書
82 The Cultural Assets Survey, and the Ryukyu Reference File of 1960-63(サシバ) 1960~63年 GHK1F05001 ジョージ・H・カー文書
83 The Cultural Assets Survey, and the Ryukyu Reference File of 1960-63(宮古) 1960~63年 GHK1F05001 ジョージ・H・カー文書
84 沖縄戦後写真資料 頭に籠を載せた女性 1945年 T00002899B エドワード・シュワルツ写真資料
85 沖縄戦後写真資料 幼児を背負う子ども 1945年 T00002899B エドワード・シュワルツ写真資料
86 沖縄戦後写真資料 海を渡り木材を運ぶ人々 1945年 T00002899B エドワード・シュワルツ写真資料
87 沖縄戦後写真資料 配給をもらう人々 1945年 T00002899B エドワード・シュワルツ写真資料
88 沖縄戦後写真資料 亀甲墓 1945年 T00002899B エドワード・シュワルツ写真資料
89 民家の石垣 1960年代半ば 0000018485 ウィリアム・J. デイトリッヒ資料
90 嘉手納基地付近 西海岸 商店 1960年代半ば 0000018485 ウィリアム・J. デイトリッヒ資料
91 嘉手納基地付近 西海岸 入り江と少年 1960年代半ば 0000018485 ウィリアム・J. デイトリッヒ資料
92 嘉手納基地付近 西海岸 山間 1960年代半ば 0000018485 ウィリアム・J. デイトリッヒ資料
93 Price Committee Trip 1955年頃 0000024777 エドワード・フライマスコレクション