1953年12月25日 奄美群島の日本復帰
戦後、沖縄同様に米軍統治下に置かれた奄美群島は、8年間の米軍政下を経て1953年(昭和28)12月24日に日米間で奄美群島返還協定が調印され、翌25日、日本に復帰しました。
2023年(令和5)12月25日で奄美群島が日本に復帰して70年になります。奄美群島の復帰関係資料等をご紹介します。
奄美群島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定 昭和28年12月25日条約第33号 「経済委員会資料に関する書類」より【R00004916B】
「米国民政府指令第15号 奄美大島に戸籍を有する者の臨時登録」1953年12月29日【RDAE000021】
1953年(昭和28)12月29日、琉球列島米国民政府は、「奄美大島の日本復帰に伴い、奄美大島に戸籍を有する琉球列島在住者(以下「奄美人」という)はすべて、1954年2月1日以前に同日以降90日間の効力を持つ臨時外人登録証の発行を受けなければならない」と指令を出しました。
沖縄在住の奄美群島出身者に対する差別取扱いについて(照会) 1969年9月4日
鹿児島県知事 金丸三郎 発 琉球政府行政主席 屋良朝苗 あて
「奄美大島調査団に関する書類 1968年度 沖縄在住の奄美群島出身者に対する差別扱いについて」より【RDAE000607】
1969年(昭和44)9月4日、金丸三郎鹿児島県知事は、沖縄に在住する奄美群島出身者が奄美群島の日本復帰後も沖縄の人々と同様の義務を負う一方、金銭面、就職面、進学などに制約を受けていることについて、根拠法令や琉球政府としての対策、奄美群島出身者への指導方法について回答を求めました。
渉外事務を分掌する琉球政府総務局渉外広報部渉外課は、各局関係課の回答文を取りまとめた後、屋良行政主席の決裁を経て、行政主席名で金丸鹿児島県知事あて回答文を送付しました。回答文には、琉球政府の施策として、沖縄在住の奄美群島出身者は、沖縄の人々と同じで差別的な取り扱いはないものの、本土に比べて格差がある点は本土並み確保に鋭意努力するとしています。
同簿冊には、金丸鹿児島県知事からの「沖縄在住の奄美群島出身者に対する差別について(照会)」に対する屋良行政主席からの回答に関する文書が綴られています。
【奄美に関する資料紹介記事】
「琉球政府の時代 資料紹介-布告・布令・指令等(4)奄美返還と奄美出身者」
奄美返還と奄美出身者に関する資料紹介
奄美群島の復帰に伴う各省関係法令の資料紹介
上記のほか、沖縄県公文書館ホームページの「サイト内検索」「資料検索」にてキーワード「奄美」で検索すると、奄美関係資料が確認できます。資料の一部は、デジタル画像がご覧になれますのでご利用ください。
【参考文献】
沖縄県『沖縄 戦後50年の歩み 激動の写真記録』(1995年)【G00002783B】
沖縄県教育委員会『概説 沖縄の歴史と文化』(2000年)【0000018553】
村山家國『奄美復帰史 新訂版』(2006年)村山三千夫/南海日日新聞社【0000072488】
崎田実芳『米軍政の鉄壁を越えて 私の証言と記録でつづる奄美の復帰運動史』(1997年)奄美瑠璃懸巣之会【T00017721B】
高安重正『沖縄奄美返還運動史 上巻』(1975年) 沖縄奄美史調査会【T00002414B】
土井智義「奄美返還時における在沖奄美住民の地位問題に関するノート-USCAR障害局文書“Amamian Problem”を中心として-『沖縄県後部女官研究紀要 第17号』(2015年3月)
土井智義「米国統治期における在沖奄美住民の法的処遇について-琉球政府出入管理庁文書を中心として-」『沖縄縄県公文書館研究紀要 第16号(2014年3月)