【季節の話題】旧正月
1872年(明治5)11月9日に、太陰暦が廃し、太陽暦を採用することの詔書が発せられ、太政官布告第337号により公布されました(国立公文書館「公文書にみる日本のあゆみ」より)。
それまで日本で公式の暦として使用された太陰暦(旧暦)が、1873年(明治6)1月1日からは太陽暦(新暦)に切り替わり、新年の到来を祝う正月が新暦1月の行事として始まりました。
沖縄では、潮の満ち引きなどと密接に結びついている旧暦の「旧正月」を祝う風習も残っています。米国統治時代の旧正月に関する写真を紹介します。
国際婦人クラブが厚生園に旧正の贈物 那覇市首里石嶺 1959年2月2日【0000213544/260CR-33_0074-01】
国際婦人クラブが厚生園に旧正の贈物 那覇市首里石嶺 1959年2月2日【0000213544/260CR-33_0070-01】
視覚障がい者へ食糧支援那覇市首里 1964年2月10日【0000213551/260CR-35_0392-01】
米民政府婦人クラブは素晴らしい旧正月(今年は2月13日にあたる)を過ごしてほしいという願いから、180ドル相当の食糧を視覚障がい者のいる60の貧困家庭に贈った。食糧の詰まった袋にはそれぞれ、米、缶詰食品、小麦粉、麺、ラード、醤油、豆のペースト、砂糖、茶、味の素とスープが含まれる。贈呈式は那覇市首里の沖縄盲人福祉会にて2月10日に行われた。食糧袋に加え、米民政府婦人クラブからNHK交響楽団のコンサートチケット100枚が贈られた。(英文和訳)
貧しい人々のための旧正月の贈り物 那覇市首里崎山 1966年1月20日【0000213553/260CR-36_0091-01】
米民政府婦人クラブの女性たちは1月20日、那覇市崎山にある困窮家族が入所する福祉施設、愛生寮を訪れ、旧正月の贈り物として20の家族にフードバスケットを贈った。バスケットには、ご飯、麺、砂糖、お茶、醤油、缶詰、干し魚、高齢者1人1人のための着物が入っていた。贈り物を贈呈するのは左から、ウィリアム・コネル夫人 (福祉委員長)、ジョン・M・フォード (会長)、ウィリアム・C・バーンズ夫人 (会計係)、愛生寮の入所者の2名。(英文和訳)
1966年1月20日【0000213554/260CR-36_0100-01】
高齢者への支援 首里の厚生園の高齢者へ、琉球と米国の婦人たちから旧正月のプレゼントとして25枚の羽根布団が贈られた。およそ15名の婦人たちが毎週那覇琉米文化会館に集い、暖かい掛け布団を制作した。チャーチ・ワールド・サービスと琉米文化諮問委員会の後援によるもの。贈呈するのは (右から) RAACCA会長ダニエル・ M・ウォーカー夫人、CWSプロジェクト委員長ウエマ・ミキコ氏。(英文和訳)
「はなやかな衣装のホステスや踊り子たちが織りなす旧正月のパレード(那覇市波之上)」原文【U00000487B】
「守礼の光」は琉球列島高等弁務官府の出版物です。『守礼の光 1969年02月』
【関係リンク】
・あの日の沖縄【季節の話題・冬】新生活運動―旧正月から新正月へ―