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あの日の沖縄

1974年3月2日 那覇市小禄で不発弾爆発事故

 1974年(昭和49)3月2日、那覇市小禄の聖マタイ幼稚園近くの下水道管工事現場で、旧日本軍が埋めた改造地雷に重機が触れて爆発しました。幼児を含む4人が死亡、34人が重軽傷を負い、家屋86棟、車両51台が全半壊する大惨事となりました。

 

「小禄の爆発事故」1974年 沖縄関係写真資料009【071920

事故後の幼稚園園庭 爆発によって多くの土がおおいかぶさっている。

 

 

「小禄爆発事故関係書類」1974年 沖縄県総務部消防防災課【P00019106B】

 

 沖縄県では、この事故を契機に、地中に潜む不発弾を探査する取り組みに力を入れています。
 沖縄戦で使用された爆薬量は約20万トンとみられており、その5%の1万トンが不発弾として地中に残されたと推定されています。県は現在も約1,878トン余の不発弾が埋没されていると推計しています。

 

【関係リンク】

・沖縄県ウェブサイト「不発弾対策