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あの日の沖縄

1968年3月1日 「日米琉諮問委員会」設置

 1967年(昭和42)11月の第二次佐藤・ジョンソン会談後の共同声明により、翌1968年(昭和43)年3月1日に琉球列島米国民政府(USCAR)の高等弁務官の諮問機関として「日米琉諮問委員会」が設置されました。同委員会は、沖縄の日本復帰に備えて、沖縄と本土との「一体化」を進めるため、総務、経済、教育、社会福祉労働の分野の勧告を高等弁務官に対して行いました。

「高等弁務官諮問委員会」1968年(昭和43)3月1日 USCAR広報局写真資料8-635-36-1

 高等弁務官に対する日米琉諮問委員会が正式に発足。左から日本政府代表高瀬侍郎(たかせ・じろう)氏、アンガー高等弁務官、琉球政府代表瀬長浩(せなが・ひろし)氏、米国政府代表ローレンス・C・バース公使   (議長)

 

「日米琉諮問委員会に関する書類」琉球政府企画局 1968年(昭和43)~1969年(昭和44)【RDAE008407】

 1968年(昭和43)3月に「高等弁務官に対する日米琉諮問委員会」が設置され、復帰に向けた準備がスタートしました。

 勧告第6号「会計年度の一体化」には、米国と同じ7月1日~6月30日の現行の琉球政府の会計年度が、復帰後は、日本政府と同じ会計年度4月1日~3月31日が沖縄にも適用されることから、諮問委員会は「琉球政府が必要な検討及び準備を今から始めることが望ましい」とし、「そのような検討及び準備が促進され、また他の関係政府が上記の検討及び準備に対し援助を与えるための適切な措置をとるよう高等弁務官に勧告する」としました。

 

 1969年(昭和44)11月の日米共同声明で1972年返還が決まると、翌1970(昭和45)3月には日米琉諮問委員会に代わり「復帰準備委員会」が設置され、USCARの機能を琉球政府や日本政府に委譲するための協議が行われました。

「復帰準備委員会初会合 記者会見」1970年3月24日 琉球政府関係写真資料127035843

 左からランパート高等弁務官 高瀬侍郎日本政府代表 屋良朝苗行政主席

 

「復帰準備委員会に関する書類 代理会議議事録 第001回~第128回
1970年(昭和45)~1971年(昭和46)【0000139398】

 復帰準備委員会の目的は、東京の日米協議委員会が策定する「原則と指針」に沿って、「復帰準備のために現地でとられるべき措置およびその実施計画を確立すること」でした。産業経済・施政権移転・地位協定・総務の小委員会に分かれ、活発に活動しました。文書にはその議事録があります。

 

『琉政だより』第17・18号では、USCAR文書の中から「日米琉諮問委員会」と「復帰準備委員会」について関係資料を紹介しています。

「USCAR文書 高等弁務官に対する諮問委員会」『琉政だより №17』(2014年2月29日)pdf

「USCAR文書 復帰準備委員会(米国側)」『琉政だより №18』(2014年2月29日)pdf

 

下記「過去の展示会」でも「日米琉諮問委員会」に関する資料を紹介しています。

「過去の展示会」>「日本復帰への道」>「Ⅵ.復帰への道~最終章」>「1・2.制度調整と県政移行」