1968年12月1日 初の公選行政主席に就任―あの日の屋良主席―
沖縄住民の念願だった琉球政府行政主席の公選が1968年(昭和43)11月10日に行われました。屋良朝苗候補は237,643票を得票し、日米両政府の支援を受けた西銘順治候補(前那覇市長)に3万票以上の差をつけて当選しました。投票率は89.11%でした。
屋良候補の選挙母体だった革新共闘会議(通称・明るい沖縄をつくる会)は、沖縄の「即時無条件全面返還」を統一綱領に掲げていました。いっぽう、自由民主党は「屋良主席が誕生すると(日本)復帰は遅れる」と、その政策を批判しました。
「革新」主席の誕生に住民の期待はふくらんでいましたが、屋良主席は今後直面する幾多の困難を予想し覚悟を定めていたようです。
屋良候補の選挙母体だった革新共闘会議(通称・明るい沖縄をつくる会)は、沖縄の「即時無条件全面返還」を統一綱領に掲げていました。いっぽう、自由民主党は「屋良主席が誕生すると(日本)復帰は遅れる」と、その政策を批判しました。
「革新」主席の誕生に住民の期待はふくらんでいましたが、屋良主席は今後直面する幾多の困難を予想し覚悟を定めていたようです。
今日からは沖縄の事一切 不肖私が引受ける事になる
思えば感深く、又我乍ら気の毒に思う、しかし何か運命だとの感がする
思えば感深く、又我乍ら気の毒に思う、しかし何か運命だとの感がする
12月1日付けで行政主席に就任した屋良は、前任者の松岡政保から事務引継ぎを受け、翌2日の月曜日に主席として琉球政府へ初登庁しました。両日の日誌をご紹介します。
屋良朝苗行政主席初登庁 1968年12月2日【0000108807/027244】
十二月二日(月)雨 公せん、屋良主席歓迎の垂れ 幕が政府庁舎に張られ、官公 労が警察前からの通路で 迎える 面はゆし、警察前に 全局長集合 一緒に赴任する 九時 雨の中で広庭で就任あいさ つする 各報道機関 あいさつする 平良氏圧勝 何と四万票を引 き放す テレビ座談会 平良氏せん挙事ム所に祝意 平良氏宅に祝意 |
平良氏とは沖縄社会大衆党の平良良松のことです。那覇市長選挙は、西銘市長が行政主席選挙立候補のため辞任したことに伴って行われました。平良は78,610票を得て、自由民主党の古堅宗徳候補に4万票の差をつけて当選しました(投票率78.55%)。 琉球政府行政主席と那覇市長、革新側のダブル勝利で1968年(昭和43)の選挙は幕を閉じました。
日誌の画像は、
「屋良朝苗日誌 022 1968年(昭和43年)08月04日~12月07日」【0000099333】より