ハーリーは中国から伝来したといわれ、豊漁と海上安全を祈願する船漕ぎ競争の行事です。競漕に用いる船を爬竜船(はりゅうせん)と呼びます。琉球王国時代には来琉した冊封使をもてなすために首里城下の龍潭池でも催されました。
琉球王国時代のハーリーに関する資料として、渡地村の波龍舟関係資料から2点ご紹介します。
「波龍舟乗舟人数賦(仮題)」1850年(道光30) 岸秋正文書【T00015319B】
舟を囲んで渡地村と東村の30人の名前が記入されており、漕ぎ手の配置図と思われます。
「波龍舟日記 道光三捨年庚戌五月」1850年(道光30) 岸秋正文書【T00015316B】
4月28日から5月4日までの記録で、ハーリー前の役割分担や参加者に振る舞われる酒・料理のほか、寄付金などの割り当てについて記されています。
戦後のハーリーの様子もご紹介します。
「那覇 泊港 ハーリー 前端区」1960年5月 【0000108870/044719】
「糸満ハーリー」1966年6月22日 【0000108896/052082】
「糸満ハーリー」1966年6月22日 【0000108896/052079】