1945年4月7日 戦艦大和が撃沈される
1945年(昭和20)4月7日、日本海軍の戦艦大和が、多数の米軍艦載機による攻撃を受けて、鹿児島県の坊岬沖で撃沈されました。
米海軍空母の艦載機が大和級戦艦を攻撃する様子。 1944年10月25日 『米海軍写真資料15』 写真番号107-35-2 【0000112168】
大和は、直径46センチの巨大主砲をもつ大戦艦です。大和建造の計画当時は、大きな砲弾を遠距離の射程で発射する戦艦が、各国海軍の艦隊で中心であり、大和もそのように設計されました。しかし、大和が完成する頃には、海戦の主役は戦艦から空母機に代わり、実戦で性能を発揮することはありませんでした。
この写真は、1944年(昭和19)10月25日にフィリピンで米軍が撮影したもので、大和級(“Yamato class”)の戦艦である、との説明がついています。大和と同じ仕様の戦艦は、他に武蔵がありますが、前日にレイテ島沖で撃沈されており、この写真は大和の写真と考えられます。
1945年(昭和20)4月1日の米軍の沖縄島上陸をうけて、大和は沖縄での戦闘作戦につくことになり、4月6日に大和と他9隻から成る艦隊は、広島県三田尻沖を出撃しました。
無線傍受翻訳 大和 1945年4月6日(2131)沖縄/Okinawa(divider 2 of 2) (1945、米海軍作戦部長室)No.085 【0000037108】赤線2か所は強調のため加工
この資料は、日本海軍連合艦隊参謀長が発した無電を、米軍が傍受して翻訳したものです。大和らが、4月6日に豊後水道を18時に出撃すること、「“Y”Day」とする4月8日が沖縄着の予定日であることなど、作戦計画がわかります。
このように、米海軍がドイツと日本の外交・軍事電信文を解読・翻訳した資料は、「傍受敵国無線翻訳及び第2次世界大戦関係雑書、1940年~1946年」のシリーズに見ることができます。
【参考】
・国立公文書館アジア歴史資料センター ウェブサイト〈https://www.jacar.go.jp/〉