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あの日の沖縄

1948年5月1日  米国軍政府布令により「琉球銀行」設立

 1945年(昭和20)の沖縄戦で、当時沖縄にあったすべての銀行は機能を失いました。沖縄を占領した米軍は、1946年(昭和21)5月、「沖縄中央銀行」を設立して銀行業務を再開させ、宮古・八重山・奄美大島にもそれぞれ銀行を開設しました。
 やがて、インフレの抑制や通貨統一を図るために、これらを吸収統合した全琉球的規模の金融機関が必要とされ、米国軍政府は1947年(昭和22)初頭に「琉球銀行」設立に着手し、12月16日に池畑嶺里いけはたみねさとを初代総裁に指名して、開業の準備を進めました。

 琉球銀行開業前の文書が、琉球政府文書として残っています。これは、沖縄民政府に対して、米国軍政府が準備した琉球銀行定款と付則を和訳して軍政本部に提出するよう求めた文書です。


「対米国民政府往復文書 1948年 受領文書」 1948年1月10日付より【R00165449B】

 このファイルには、この指示にしたがって沖縄民政府が仕上げた定款などの和訳文書が合わせて綴られています。
 1948年(昭和23)1月20日付で「琉球銀行条例及び付則」が制定され、同日に軍政府内で開催した第1回理事会で役員が選出されました。
 1948年(昭和23)5月4日、米国軍政府布令第1号「琉球銀行の設立」が公布され、5月1日に遡及発効し、琉球銀行は開業に至りました。沖縄中央銀行その他の銀行は琉球銀行に合併されました。


軍政府布令第1号 Establishment of the Bank of the Ryukyus/[琉球銀行の設立]
【RDAP000025】

 「琉球銀行の設立」布令第1条は、設立の目的及び運営について「軍政府資金の伝達、領収、蓄蔵及び支払、琉球各臨時政府及び下級官庁の機能発揮に付随する通常銀行業務、適当な資本金の貸与により、商業、工業、農業、企業の誘起及び通貨の膨張を抑制し闇行為を窒息せしめることによる通貨の調制-それらの全てが琉球復興並に軍政府使命達成上大いに貢献するものである―を適正且つ有効なる便益を確立し、維持するために琉球銀行をここに設立する」としています(訳文は沖縄民政府公報第8号[1948年6月30日付]による)。


「琉球銀行の設立」布令第1条 訳文
「沖縄民政府公報第8号」(1948年6月30日付)より


ウィリアム・ジェンキンス撮影「沖縄の風物写真2-3」より【0000086415‐2116】

 琉球銀行は、那覇市東町1丁目10番地(那覇港付近)に、戦前の別の銀行の建物を緊急補修し、本店として開業しました。向かって右側が元の鹿児島興業銀行那覇支店、左側が元の日本勧業銀行那覇支店です。
 『琉球銀行10年史』に「1952年1月5日 本店三階増築落成」とあることから、撮影時期は設立から1951年(昭和26)までの間と推定できます。
 
 琉球銀行は、資本金の51%を米国軍政府が出資し、その統制下にありながらも、戦後の沖縄経済復興に中心的な役割を果たしました。1972年(昭和47)5月15日の沖縄の日本復帰を前に米国は保有株式を開放し、普通銀行となった後も沖縄経済を支えています。

【参考文献】
・『琉球銀行 創立3周年記念誌』1952年 琉球銀行調査部【T00002222B】
・『琉球銀行創立五周年記念』1953年 琉球銀行【0000023451】
・『琉球銀行10年史』1962年 琉球銀行調査部【T00000492B】 
・『琉球銀行35年史』1985年 琉球銀行【T00000493B】