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あの日の沖縄

【季節の話題・夏】波之上の移り変わり

 「波之上」(ナンミン)とは、那覇市若狭海岸のうち波上宮周辺の通称で、戦前から人々の夏の納涼や憩いの場として親しまれてきました。済廣寺山(セーコージヤマ・現在の旭が丘公園)には月見、波之上の浜辺には納涼や海水浴の人々が集まりました。

 

海水プール【T00022488B】
沖縄本島及び周辺離島の風物 市場 波上宮 (河村只雄)1938年(昭和13)

 1931年(昭和6)、沖縄県で最初の水泳プールである「那覇市営波上プール」がオープンしました。海水を引き入れた長さ25メートル、幅14.8メートル、8コースのプールで、無料開放されて、多くの子どもたちが利用しました。年2回開かれた県内中等学校水泳大会の会場となり、時期になると各学校が熱のこもった練習をしていました。

 

波之上海岸の水泳場解放申請について 1949年12月10日
沖縄民政府当時の軍指令及び一般文書 5-5 1949年【R00000439B】

 若狭海岸の一帯は、沖縄戦後に米軍が接収しており、立ち入りできませんでした。この文書は1949年(昭和24)12月10日、沖縄民政府知事がアメリカ軍政官に海岸一帯の解放を申請したもので、沖縄体育協会が水泳競技の復興促進のため波之上海岸を水泳場としたいという内容です。波之上海岸とプールは、1950年(昭和25)1月7日に解放されました。首里中学校の教員と生徒が戦災で傷んでいた部分を修理し、同年9月23日第一回全島水泳大会が開催されました。

 

那覇 波上祭 1957年(昭和32)
琉球政府関係写真資料216 059022

 この写真は、1957年(昭和32)の波上祭(ナンミンサイ)の様子です。のぼり旗や多くの人々が見えます。波上祭は、那覇の初夏を告げる風物詩です。波上宮は、神社を格付けする近代社格制度により1889年(明治22)に官幣小社となり、内務省がその例祭日を12月29日と定めました。その後1893年(明治26)内務大臣の命により、現在の5月17日となりました。

波之上の水上店舗 1963年6月
琉球政府関係写真資料182 050781

 この写真は1963年(昭和38)の波上海岸です。建物が密集して波打ち際が見えません。バラックが並び、水上店舗と呼ばれました。貸しボート屋などが営業していましたが、1980年(昭和55)1月22日の火災で8棟が全焼しました。那覇市は、法律に適合していない建物として水上店舗の再建築を認めず、跡地を公園として整備しました。1991(平成3)年7月波之上人工ビーチが完成して、海水浴客の姿が戻ってきました。

 

【参考文献】

島袋全幸『昔の那覇と私』(若夏社、1986)【T00002025B】
琉球新報社会部編『昭和の沖縄』(ニライ社、1986)【T00013986B】