あの日の沖縄
1970年12月20 日午前6時頃、東京に滞在中の屋良朝苗行政主席のもとに、コザ市(現・沖縄市)で「軍と民衆集団大衝突」が起こっていると報告する電話が入りました。
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旧暦の三月上旬、沖縄本島中南部を中心に祖先供養のまつりが盛大に行われます。シーミー(清明祭)といわれる行事です。那覇市首里近辺ではウシーミー(御清明)とも呼ばれています。
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1947年9月19日、宮内府御用掛寺崎秀成は対日理事会議長兼連合国最高司令部外交局長ウィリアム・ジョセフ・シーボルトを訪問し、米国による沖縄の軍事占領に関する天皇の見解を伝えました。
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1948年8月6日、伊江島で沖縄の米軍関係では戦後最大となる事故が発生しました。米軍が沖縄戦時の不発弾や未使用爆弾を船に積み込み、島外に運び出す作業をしていた際に、荷崩れを起こし弾薬が爆発しました。
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