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當山久三より平良新助あて書簡

【資料の名称】當山久三氏より平良新助氏に宛てた書簡 1907年(明治40)9月17日付
【資料ガイド】沖縄関係資料>個人文書>湧川清栄文書

【資料の概要】
 金武村出身の當山久三(1868-1910年)は、謝花昇らと共に自由民権運動に尽くしたのち、自由な新天地を求めて海外移民事業に活路を見出した。1899年(明治32)に、沖縄から初の海外移民をハワイに送り出し、「沖縄海外移民の父」と呼ばれる。
 この書簡は、移民あっせん事業が順調に進んで意気盛んな時代の當山が、自由民権運動の仲間で、ハワイを経て北米に移住していた平良新助(1876-1970年)に送ったものである。「吾ハ猫額大之沖縄ニテ駈ケ廻まわり何ノ得ん所ナキモ沖縄人ヲシテ海外志想ニ狂奔スルニ至ル迄発展せしめ、今や布哇(四千)メキシコ ペルー、ニューカレドニヤ ヒリッピン、加奈陀ニ凡ソ五千人ヲ出稼ぎせしめ今や県民や海外行の外夜も明ケザルノ有様ニ候」と伝える。また、県外から入ってきた移民業者に対抗して県人を守るため、協会設立の準備中であること、すでに移民新聞を発刊して告発・啓蒙活動をしていることなども述べている。
 當山はその後、1909年(明治42)の第一回県会議員選挙で当選するが、まもなく42歳で病没した。

 ハワイ移民1世の湧川清栄(ハワイタイムス編集局長、日本国ホノルル総領事館顧問などを歴任)がこの書簡を入手し、その著書『当山久三伝 沖縄解放の先駆者』(1973年刊)で詳しく紹介した。(湧川清栄文書については 資料紹介>沖縄関係資料>湧川清栄文書
 
當山久三が平良新助に宛てた書簡[資料コード0000050298]
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書簡書き下しPDF

 平良は今帰仁村出身。當山とともに沖縄の自由民権運動を支えた後、1901年(明治34)にハワイへ、1904年(明治37)にはカリフォルニアに移り、農場やレストラン・ホテルを経営。実業家として活躍し、沖縄県人会、日本人会の会長も務め、北米在住の沖縄移民らの中心的存在だった。1953年(昭和28)12月に帰郷し、今帰仁村で長寿を全うした。
 
平良新助[資料コード0000050481]
この写真には「L.A.1951」(L.A.=ロサンゼルス)との湧川によるメモ書きがある。
湧川は平良と同じ今帰仁村出身。

【公開日】2006年

・参考文献  
湧川清栄 『当山久三伝 沖縄解放の先駆者』 1973年 太平出版社