米国海軍軍令部長室 作戦部主題別ファイル(雑書)
米国国立公文書館から収集した米国海軍軍令部長室作戦部主題別ファイル(雑書)を公開しました。(平成22年3月29日)
同資料群は、第2次世界大戦中の海軍部内での議事録や各部隊間とワシントンの陸海軍省との電信のやりとりを日付順に綴ったもので、当館では、全13箱の中から沖縄戦に関する記述を含む綴りを収集しました。全9簿冊。
同資料群は、第2次世界大戦中の海軍部内での議事録や各部隊間とワシントンの陸海軍省との電信のやりとりを日付順に綴ったもので、当館では、全13箱の中から沖縄戦に関する記述を含む綴りを収集しました。全9簿冊。
資料リスト
資料コード | タイトル |
---|---|
0000092826 (00002-001) |
Basic Post War Plan, No.1, 1945 |
0000088899 (00003-001) |
Conference Notes (Pacific), 1944-45 (1/2) |
0000088900 (00003-002) |
Conference Notes (Pacific), 1944-45 (2/2) |
0000088901 (00004-001) |
“ICEBERG” (Capture of Okinawa), 1945 (1/3) |
0000088902 (00004-002) |
“ICEBERG” (Capture of Okinawa), 1945 (2/3) |
0000088903 (00004-003) |
“ICEBERG” (Capture of Okinawa), 1945 (3/3) |
0000088904 (00011-001) |
Pacific Operations, 1944?1945 (No. 2) (1/2) |
0000088905 (00011-002) |
Pacific Operations, 1944?1945 (No. 2) (2/2) |
0000088906 (00013-001) |
United States Strategic Bombing Survey, 1946 |
ハイライト資料(Highlights)
①太平洋会議議事録(1944年9月29日~10月1日)
【資料タイトル】 (00003-001) Conference Notes (Pacific), 1944–45 (1/2)
【資料コード】 0000088899
【資料解説】
1944年9月29日から10月1日までサンフランシスコで行われた会議では、米海軍首脳が太平洋地域での作戦展開について話し合いました。その焦点は、台湾進攻か、それとも硫黄島・琉球進攻のどちらを選択するかということにありました。台湾進攻にはより多くの兵士や物資が必要であることから、ルソン-硫黄島-琉球方面に作戦を展開する案がまとまりました。
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【資料タイトル】 (00003-001) Conference Notes (Pacific), 1944–45 (1/2)
【資料コード】 0000088899
【資料解説】
1944年9月29日から10月1日までサンフランシスコで行われた会議では、米海軍首脳が太平洋地域での作戦展開について話し合いました。その焦点は、台湾進攻か、それとも硫黄島・琉球進攻のどちらを選択するかということにありました。台湾進攻にはより多くの兵士や物資が必要であることから、ルソン-硫黄島-琉球方面に作戦を展開する案がまとまりました。
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②1945年4月8日付第10軍司令部発各司令部宛電信文
【資料タイトル】 (00004-001) “ICEBERG” (Capture of Okinawa), 1945 (1/3)
【資料コード】 0000088901
【資料解説】
沖縄の状況報告の中に、慶良間列島での集団自決(強制集団死)について、以下のような記述があります。
「…慶良間列島において、約350人の住民が軍政府の管理下に置かれ、病人を除く全員が一村に収容されている。その他、壕にいて、一緒にいる日本兵から投降することを禁じられている住民が(現在も)約200人いるもよう。米軍上陸前の自殺協定(約束)により約20人が死亡、60人が喉に切傷をおった。重傷者もいるが、多くは回復する見込み。」
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【資料タイトル】 (00004-001) “ICEBERG” (Capture of Okinawa), 1945 (1/3)
【資料コード】 0000088901
【資料解説】
沖縄の状況報告の中に、慶良間列島での集団自決(強制集団死)について、以下のような記述があります。
「…慶良間列島において、約350人の住民が軍政府の管理下に置かれ、病人を除く全員が一村に収容されている。その他、壕にいて、一緒にいる日本兵から投降することを禁じられている住民が(現在も)約200人いるもよう。米軍上陸前の自殺協定(約束)により約20人が死亡、60人が喉に切傷をおった。重傷者もいるが、多くは回復する見込み。」
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